音乐

西方音乐史和音乐家

第四届“Bernard de Vantador和宫廷恋情”

2017 4月2天

11世紀末に、南フランスの宮廷で始まったトルバドゥール(吟遊詩人)たちの活動ですが、初めて女性を対等な恋愛の対象として認め、その愛を勝ち取るために愛の詩を歌い、騎士としての名誉と命をかける事が称賛されるようになります。時代は中世のルネッサンスと呼ばれる12世紀。十字軍の遠征と共にイスラムの進んだ文化や豊かな社会に触れて、ローマ末期に侵入した蛮族たちの子孫としてまだまだ粗暴であったヨーロッパの男たちも、洗練された立ち居振る舞いや文化を身に着けようとし始めます。初期のトルバドゥールたちは、まだそのような行動の結果として女性を獲得しようする欲望を隠そうともしませんでした。
しかし次の世代になり、宮廷文化が洗練されていく中で、理想の恋人は主君の奥方などの身分が上の貴婦人になり、騎士は完璧な忠誠と献身を捧げることになります。そこでは、騎士としての美徳と精神的な高みへは、ただ意中の女性への賛美をつらぬきつつも、純潔を守るという崇高な「愛」によってのみ達する事ができるとされたのです。
対して、女性たちは相手を恋人として認め、愛を注ぎ、接吻や抱擁や時には裸身を見せることすらもしましたが、そこに超えてはならない一線を置いて、互いにそこを越えないようにしました。例えば「アサーニュ(試み)」という一種の儀式では、愛する貴婦人と共に寝台に横たわり、あらゆる性愛の技巧をゆるしても、最後���一線を越えずに堪えることができるかという試練を騎士に課しました。このように、愛の真の目的を果たすために、欲望を乗り越え、精神的な高みに至ることが、騎士と貴婦人たちの「宮廷風恋愛」として確立されたのです。
最初のトルバドゥールと言われるアキテーヌ公ギヨーム9世の孫娘にあたるアリエノール・ダキテーヌは、後にフランス王ルイ7世と結婚し、離婚した後はイギリス王ヘンリー2世の王妃となり、ヨーロッパの多くの王や妃たちの母となりましたが、祖父の代からこうしたトルバドゥール達の中心にいました。そして彼女の婚姻などにより吟遊詩人たちの舞台も北フランスに移り、彼らもやがてトルヴェールと呼ばれるようになりますが、その流れをくむいくつもの宮廷では、そうした「宮廷風恋愛」のさまざまな問題を議論する「愛の法廷」がたびたび開かれます。そこでは、知見を持つ貴婦人たちが、提起された実際の恋愛の問題について議論し、評決を下したのです。後にアリエノールの娘のマリ・ド・シャンパーニュの宮廷では、「ただ美徳のみがひとを愛されるにふさわしくする」、「愛は情欲と韻を踏まない」など「宮廷風恋愛」の31か条のルールを定めたアンドレ・ル・シャプランの「正しき恋愛技法論」が書かれます。
さて、こうした「宮廷風恋愛」の歌を歌ったトルバドゥール達の中でもっとも有名な一人は、かのアリエノール・ダキテーヌに愛を捧げたベルナール・ド・ヴァンタドール(ベルナルド・デ・ヴェンタドルン)(12世紀前半~1180年頃)です。ヴァンタドール子爵の下僕の出身ですが、後に詩や歌、宮廷風恋愛のしきたりに秀でて、「世にも美しい人よ、かくも美しくあなたを創った方が、わたしに待ち望む歓びを与えてくださるように!」と、女性への憧れをみずみずしい感性で歌いました。彼の作った旋律はその後数百年も歌い継がれる事になり、こうして現代に至る「恋愛」という概念は、中世に歌と共に生まれ、時代と共に変化し表現されていったのです。

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