音楽

西洋音楽史と音楽家たち

第15回「フランチェスコ・ランディーニ」

2017年7月9日

フランチェスコ・ランディーニ(伊 c.1325-1397)は、14世紀イタリアの音楽家です。1325年ごろ、フィレンツェ郊外の村に、有名なフレスコ画家ヤコポ・デル・カセンティーノの子として生まれました。幼いころ天然痘にかかって失明し、その後、盲目のフランチェスカと呼ばれるようになります。しかし、歌やオルガンやさまざまな楽器の演奏や制作、作曲などの音楽技芸を始めとして、詩や哲学や天文学など自由七課の高度な学問を修めます。その後、フィレンツェで生涯をおくり、1361年にはフィレンツェのサンタ・トリニタ僧院のオルガニストになり、。1365年からはフィレンツェの聖ロレンツォ教会でオルガニストを務めました。

イタリアでは、先に13世紀のフランスに起こったようにはポリフォニー(多声音楽)や複雑なリズムは発展せず、むしろイタリアらしい単旋律中心の音楽が続いていましたが、それが14世紀に入るとようやく多声化して、美しい旋律の世俗多声歌曲が盛んになりました。音楽におけるイタリアのこの時代を、トレチェント(300年代という意味)と言います。
なかでもランディーニは、トレチェントを代表する音楽家で、自作の詩によるバラータ(フランスのヴェルレーと同形式の世俗歌曲)や、カッチャ(狩の曲)と呼ばれる陽気で活発なカノン(輪唱)などで、愛や浮世の思いなどを歌い上げました。それは人生を楽しむイタイアらしい情感にあふれ、次に来るルネサンス時代を感じさせる人間的な音楽だったのです。

また、ランディーニは、フィレンツェで古典古代(ギリシア・ローマ)文化への興味が高まりを見せ始めた初期ルネサンスのころ、人文主義者たちの集まりの中で、オルガネット(手持ちオルガン)を奏で、詩作をし、音楽理論を語り、文法や修辞学、哲学や弁証法などの議論と発展に寄与した人物でもありました。
ジョヴァンニ・ダ・プラートが書いた「アルベルティ家の楽園」の中で、そのような集まりの際に、ランディーニが奏でた音楽のあまりの素晴らしさに、集まってきた小鳥たちまでもがうっとりしたと、当時の様子が書かれています。

ランディーニは、フィレンツェ市民から厚い尊敬を受けたのみならず、その名声はイタリア中に広がり、またその音楽も広く愛され演奏されて残りました。今日まで伝わるトレチェントの楽譜の実に4分の1はランディーニ作だった、という事になったほどです。

その死後、ランディーニはフィレンツェのサン・ロレンツォ聖堂に埋葬されましたが、最近再発見されたその墓碑には、通常は高位の聖職者や権力者しか受けられない顕彰が与えられ、人間復興の時代に愛されたたぐいまれな芸術家であったことを示しています。

参照:皆川達夫「中世・ルネサンスの音楽」、ヴァルター・ザルメン「音楽家409人の肖像画」、 Giovanni da Prato「Il Paradiso Degli Alberti」、ToKiNo工房「新西洋音楽史に基づく架空講義」、山口美佐「Early Music-古楽の楽しみ」他

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