音楽

ラスカーラオペラの贈る★第185回ディナーコンサート

「プーランクのエスプリ」

2017年10月29日

第185回ディナーコンサート

「プーランクのエスプリ」

 

演奏:ラスカーラ木管アンサンブル × 牧光輝

山口邦子(フルート)
石田栄理子(オーボエ)
浦本由美子(クラリネット)
中村枝里香(ホルン)
佐々木芳香(ファゴット)
牧光輝(ピアノ)

 

 プログラム
フランシス・プーランク作曲
1、ピアノ・オーボエ・ファゴットの為の三重奏曲
2、フルートソナタより第2楽章
3、クラリネットソナタより第3楽章
4、六重奏曲
185thコンサート

西洋音楽史と音楽家たち 

第24回「ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナと反宗教改革」

南阿蘇ルナ天文台・森のアトリエ 宮本孝志  2017.10.29

 

ジョヴァンニ・ダ・パレストリーナ(1525頃~1594)は、ローマ近郊のパレストリーナで生まれたルネサンス期イタリアの作曲家です。当時の音楽は、そのほとんどが北ヨーロッパのフランドル出身の音楽家たち(フランドル楽派)で占められていた中、イタリア出身の教会音楽家がようやく登場したのです。

 

故郷サンタ・ガーピタ大聖堂のオルガン奏者を務め、イタリア人初の「ミサ曲集」を発刊した後、1551年にローマのサンピエトロ大聖堂のジュリア礼拝堂楽長に就任しました。また1555年、システィナ礼拝堂歌手にも選ばれましたが、当時の教皇パウルス4世によって解任されてしまいます。

そのころ、1517年10月31日にドイツのマルティン・ルターがヴィッテンベルグ教会の門に貼り出した95か条の論題に端を発した宗教改革の嵐が、ヨーロッパ中に吹き荒れており、ついに1560年にカトリック教会からプロテスタントが分かれていく中で、それに対抗する反宗教改革運動がローマ・カトリックの内部でも叫ばれていました。パレストリーナはすでに結婚していたので、聖職者は結婚できないとのカトリックの教義に抵触してしまったのです。

そして、1545年から63年にかけて行われたトリエント公会議により、カトリックの内部改革も進む中、その動きは教会音楽にも及び、フランドル楽派の華麗なポリフォニー音楽は典礼にふさわしくない、単旋律のグレゴリオ聖歌にもどれという声も高まっていました。

しかし、強硬なカトリック教会改革派だったパウロス4世もやがて亡くなり、パレストリーナは1571年にジュリア礼拝堂楽長に復職します。

 

パレストリーナが作曲したミサ曲は、そうした時代の雰囲気や要請に合わせるように、ポリフォニーでありながら、明快で魅力的な旋律と温かく柔らかい和音、そして不協和音を穏やかに解決していく優美な進行によって、応えようとしたのです。特に「教皇マルチェルスのミサ」は、典礼にふさわしいポリフォニー・ミサ曲も可能であることを証明するために、トリエント公会議の強硬派を抑えるために作曲され、見事にその目的を果たしたという伝説さえも生まれたほどです。

こうして、パレストリーナは生涯に、ミサ曲105曲、モテトゥス250曲以上、多数の宗教曲、100曲以上のマドリガーレなどを作曲します。その音楽は「パレストリーナ様式」と呼ばれ、当時の流行に背を向けて、グレゴリオ聖歌や全音階法を守り、歌詞と音楽の調和を保ち、和声とポリフォニーのバランスを保った、節度ある華やかさを備えた厳粛な美しさを現すことを目指しています。

こうして、パレストリーナは、「音楽の聖人」、「教会音楽の救い手」と称えられて象徴的な存在となり、またその音楽は教会音楽の純粋さを示す模範となって、音楽史の中でも際立った存在として、16世紀のヨーロッパに大きな影響を与えたのです。

 

(今日から数日後に迎える2017年10月31日は、音楽の歴史にも大きな影響を及ぼしたマルティン・ルターの95か条の論題提起からちょうど500年を迎える節目となります。)

 

参照:皆川達夫「中世・ルネサンスの音楽」、岡田暁生「西洋音楽史」、ヴァルター・ザルメン「音楽家409人の肖像画」、他