音楽

西洋音楽史と音楽家たち

第8回「ハンス・ザックスとマイスタージンガー」

2017年4月23日

騎士たちによる中世の吟遊詩人たちの活動は、14世紀ごろまで続きます。しかし騎士たちは、やがて歩兵中心となる戦争形態の変化や傭兵の増加、貨幣経済の浸透、封建小領主としての困窮などによって没落していきます。代わって商業の活発化によって都市の商人たちは富裕化していき、こうした勃興する中産階級に詩歌の歌い手たちは移っていき、フランスではすでに13世紀に毛織物業の歌人組合「ピュイ」などが組織され、フランス語の吟遊詩人トルヴェールとして活躍していました。
同様に、ドイツでは騎士であるミンネジンガーたちの後を継いで、パン屋、織物屋、鋲釘屋、床屋など、手工業ギルド(組合)の職人身分の親方=マイスターたちが、職匠歌人=マイスタージンガーとして登場し、14~17世紀ごろに組合を作って大いに活躍したのです。
彼らは、前の時代のドイツ語の吟遊詩人=ミンネジンガーたちを自分たちの始祖と仰ぎ、ヴァルター・フォン・デア・フォーゲルヴァイデなど「いにしえの12人のマイスター」を敬いました。

ドイツ南部の都市ニュルンベルグは、神聖ローマ帝国の最大の都市のひとつであり、またヨーロッパ中央の重要な貿易都市として栄えていましたが、マイスタージンガーたちの中心地となり、そこでは「歌学校」と呼ばれる年に一度の歌のコンクールが行われ、記録者と呼ばれる審査員が減点法で判定を行ったとされています。歌は宗教歌のみで後にはルター訳ドイツ語聖書に準拠したものに限られるようになり、韻を踏んだ歌詞が単旋律で歌われました。そして判定の結果マイスターゲザング(マイスター歌)に選ばれた歌は、名前が付けられて大切に保管されました。また、その場は新たなマイスターへの昇格試験も兼ねており、それまで組合の親方について5段階の資格修行を積んできた歌い手が、この場で晴れてマイスターに選ばれることになっていたのです。後にワーグナーは、こうした史実に基づき楽劇「ニュルンベルグのマイスタージンガー」を作曲しました。

この楽劇の主要な登場人物としても知られるハンス・ザックスは、最も有名なマイスタージンガーの一人ですが、1494年にニュルンベルクに生まれ、15歳で靴職人に奉公して親方になり、その地で活躍して1576年に生涯を終えました。
当時ドイツでは、マルティン・ルターによる宗教改革が始まっており、音楽や歌(コラールや讃美歌)を教会活動に奨励してドイツ市民層にその影響は広がっていましたが、そのルターの思想に共鳴して作ったザックスの詩「ヴィッテンベルクの鶯」はドイツ中で有名になりました。その後、生涯に4000曲以上の歌、100以上に上る劇などを作り、高名なマイスタージンガーとして尊敬されました。
こうして活発だったニュルンベルグのマイスタージンガーたちも、やがて組合の厳格な規則のゆえに次第に芸術性と柔軟性を失い、衰退していったのです。